教祖
毎日チェックしてるはずの「かんたん短歌ブログ」。
4月1日に更新されていたのに今日、気がついて読んでたら、「枡野浩一の短歌教室」という、短歌を書いている人たちの短歌を添削をしている記録が紹介されていて全部読んだ。
何度も枡野さんが言っていることがたくさん書かれていたけれど、添削のやりとりを読んでいて改めて勉強になった。
どれだけ伝えたいことがあるか、そしてそれを短歌に馴染みのない人たちにも伝わる言葉でどう書くか、それを考えぬく力がいかに大切かって、いつも考えてるけどもっともっとできるんだ!って思えてた。
なんだか短歌テンションが上がって上がって仕方なくなってドキドキしちゃった。
才能って、センスみたいなわりとすんなりできてしまうこともそうなんだろうけど、どれだけ情熱を注げるかってことだと思う。
人のやりとり読んでただけなのになんだかすごーく面白かった。
やっぱりあたしはおもしろい短歌を書きたいし、短歌を書くくらいしかやりたいことがない。
でもやりたいことがあるってしあわせだ。
短大のシナリオの授業で先生が言ってた。
「人間は衣食住があれば生きていけるけど、ひょっとしたら世の中には音楽とか小説とか映画とかとかなくちゃ本当に死んじゃう人がいると思うの」
うろ覚えだけど、こんなかんじのこと。
「先生かっこいー!」って感激した。
だってそうだと思うもん。生きていけても活きられないっていうか。この漢字は無理やり使ってみたけど。
あたしにとっての短歌も音楽もそうだと思う。
枡野さんにとりあげてもらった短歌についてメールを送らせてもらったときにきた返信のメールに
「あの歌は『ショートソング』(集英社文庫)の中で
光っていますね。
またつくってください。」
とあった。
あたしが送ったメールは、その頃フラれてグチャグチャになってた自分の気持ちとかを書いたものだったんだけど、枡野さんの
「またつくってください」
って言葉が、がんばれ。みたいに感じた。
勝手にそう感じただけだけど。
短歌がなくちゃダメなあたしに「またつくって」って言ってくれたのがうれしかった。
短大の先生の言葉と、枡野さんの「つくらなくちゃいられない人だけ短歌はつくればいい」って言葉は仲間な感じがする。
そしてあたしはその言葉たちが好き。
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